カント、ニーチェ、シェーラー、ハイデガー、ティリッヒ、レヴィナス、デューイ、そして、ビースタ。
先人たちの言葉を深く読み解きながら、教育が抱える課題の根源を問い、新たな学びの地平を指し示す意欲的な論考。
「現代社会における教育学が必要とする根本概念は、少なくとも共存在と超越性である。…教育における共存在は、人が人、生きもの、大いなる自然と交感していることである。…教えられる内容、教える人自身に、学ぶ人が交感し、共鳴共振しなければ、『問い』に向かい続ける『学び』は生じない。したがって、いかなる権威も、いかなる畏敬も、いかなる創造性も、生じない」。
「教育における超越性は、…『良心の呼び声』に聴き従うことであり、通念の意味・価値で構成される規約・制度の『外』、ようするに『この世界』の『外』に臨むことである。もっと具体的にいえば、いつか到来する『私』の死と『あなた』の死を想いつつともに生きること、〈よりよく生きる〉を問い続けながらそうすること、である」。
「キリスト教思想においてそうした生存様態は、古くから「アガペー」(無条件の愛)と呼ばれてきたが、非キリスト者がそれをどのように呼び象るかは、まったくではないが、自由といえるだろう」。
「機能的秩序が相対的に拡大し、エゴイズムが広がり、規則随順が秩序を形骸化させ、公共倫理の形成を阻害する傾向にあるなかで、存在論的思考は、一人ひとりが〈よりよく生きようとする〉力を喚起する」(以上、本文より)。