ドイツ語の「クリティーク」は難しい

 外国語の難しさはいろいろですが、日本語とニュアンスがすっかり違う時は面くらいます。日本人のビジネスマンが多く住んでいたドイツのデュッセルドルフは「日本のコロニー」と言われました。乗っ取られたとのニュアンスかと思いましたが、別に悪い響きはないとのことです。
 ドイツでの講演の時、友人が「プロパガンダをしないといけないな」と言うので驚きました。プロパガンダの言葉からナチスのゲッベルスを想い浮かべたのですが、普通の言葉でした。また大学紛争の世代ですから、ゲバルトは暴力と思い込んでいましたが、「アルバイト」のような和製ドイツ語に近いものでした。なにせ権力分立の権力もまた、ゲバルトですからネ。
 『戦争論』のクリティークも難しく、第二篇第五章で「批判」とのタイトルになっています。政府批判など、政治学者も批判の方に馴染みがありますが、『戦争論』では違和感がありました。戦争の事例のクリティークが重要だというのですが、それは「検証」などと言われている作業でして、「批評」に近いものです。
 『日本語大シソーラス』(大修館)などで調べた結果はこうです。批評は、良し悪しを論じることで中立的ですが、批判には悪いとするニュアンスがあるのです。小学館『日本語大辞典』でも現在、「批判」は「否定的な意味で用いられる」とあります。
ただ、哲学の専門用語では批評のような作業を「批判」ということになっているようでして、クラウゼヴィッツが強く影響されたカントの意味もそのようです。二種類の全訳が哲学者の手になるものですから、「批判」となっているのです。ただ、一般の日本語としての適否は別でしょう。



「クラウゼヴィッツ語録」編訳者:加藤 秀治郎